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普通ってなんだろう:四度目の氷河期

四度目の氷河期
四度目の氷河期
posted with amazlet on 06.10.04
荻原 浩
新潮社

荻原浩さんの最新作『四度目の氷河期』を読み終えました。
ちょっとだけ平均的な日本人と違うというだけで、周りからいつも浮いていた18歳の主人公の渉(ワタル)が、自分の人生を振り返りながら、「父親」を捜し求めるお話です。


父親がいない、目の色が薄い、走るのがとても速い、独特の絵を描く、じっとしてられない・・・。ワタルは物心ついた頃から、どうやら自分は他人とは違うということに気付きます。父親は誰だろうと想像をめぐらすワタルの頭の中にピタリとはまって、それからの自分の行動を運命付けたのがアイスマン・・・クロマニョン人のミイラ(実際はクロマニョン人じゃなかったのだけど)。ワタルは自分は1万年以上前にこの世に存在していたクロマニョン人の直接の息子だと思い込むようになったのです。もしかしたらそれは自分の辛い境遇から目をそらすための一種の防衛本能だったのかもしれません。そうしてクロマニョン人の正当な後継者となるべく、石でヤリを作って、かつて父親がやったのを想像して見えないマンモスにヤリを投げ、野を駆け巡り、来たるべき次の氷河期に備えてサバイバルに挑むのです。


そこに現われたのがサチ。都会から転向してきたサチにだけ、ワタルは心を開くようになります。自分がクロマニヨン人の息子であることも打ち明けます。秘密の洞窟にも招待します。ワタルは母親だけじゃなく、もうひとり守らなくてはならない大切な人と出会ったのです。そしてクロという犬。ひどく傷ついたこの犬をサチとワタルの仲を取り持つようにいつもワタルの後を追いかけていきます。


中学生となってもワタルは孤独でした。顧問の教師に半ば強引に陸上部に入れられたけど、お目当てのやり投げはなく、自分が特別だと思っていたら案外そんなでもないことに気付かされました。
スポーツ推薦も棒に振ってしまって不良の巣窟の高校に進学。
半ば強引にやり投げを始め、自分の肉体を改造して、記録を伸ばすことに集中する毎日を送るようになりました。そうしてようやく周りを認めさせることができそうになったころ、悲しい別れが訪れました。唯一の肉親である母の死でした。
ワタルは本当の父親に合うために、そして心の中で自分の父親だと信じたあのアイスマンに会いに、ひとりでロシアへ渡ることを決意します。

シベリアでの父親との悲しい対面。そしてアイスマンとの「再会」と「別れ」。でももうワタルはひとりぼっちではなかったのです。


ワタルの人生というプリズムを通して、荻原さんはいろんなことをあたしたちに訴えかけてきます。

普通ってなんだろう。
孤独って?
常識は?
偏見は?
差別は?

それが悲壮感なく読めるのは、やはり荻原さんならではのユーモアと暖かい文章以外の何物でもないと思います。『明日の記憶』に似た雰囲気はあるけど、『明日の記憶』が自分を失っていく恐怖にどう対峙するかという、自分の内面にベクトルが向いているのに対して、この『四度目の氷河期』は、自分という存在をどう自己認識していくのかという点から書かれているところに大きな違いがあります。


物語の冒頭からクロマニョン人のミイラに向かって「父さん」なんていうシーンだっから、突拍子もない設定で最初はどんなふうになっちゃうのかなって不安になったけど、泣けて笑えて考えて、そしてほっと息をついで最後のページを閉じるその瞬間にとても幸せな気持ちになれる、そんな本です。またあたしに宝物がひとつ増えた気分です。
評価はもちろん★★★★★