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正義も十人十色:正義のミカタ〜I'm a loser〜

正義のミカタ―I’m a loser
本多 孝好
双葉社 (2007/05)
売り上げランキング: 71070
おすすめ度の平均: 4.0
3 できる範囲で。
5 作者らしい読後感
3 真の正義の味方かどうかは見方によって異なるのでミカタ


高校時代、ひどいいじめを受けた主人公の蓮見亮太は、三流の飛鳥大学(通称スカ大)へ進学します。そこでひょんなことから「正義の味方研究部」(略してセイケン)に入部する。この部は大学内でトラブルが起きると仲裁に入ったり、加害者を懲らしめたり被害者のサポートをしたりするために設けられた学生自治会公認の由緒正しきサークルで、亮太は同級生のトモイチと一緒に入部し、とあるイベントサークルの潜入調査に当たることになるのです。そのイベントサークルでは実はとんでもない悪事を働く輩が居たのですが、その正体に気づくことなく亮太はある先輩にだんだん惹かれていくとともに、部員たちの考える正義になんとなく違和感を感じ、最後には自分なりの正義の貫き方を目指していくというストーリーです。


きっと「正義」って十人十色で、その人が置かれている立場よっても変わるだろうし、文化や民族によっても異なるはず。力を持っている側が考える「正義」と、虐げられている側が考える「正義」とは自ずと異なってくる。例えばアフガニスタンやイラクで展開するアメリカ軍が掲げる「正義」と、イスラム過激派が掲げる「正義」は、お互いの立場に立てば確かにそれは正しいのかもしれない。けど結果は悲劇しか生んでいない。


あえてカタカナで「ミカタ」としているのは、「味方」と「見方」を掛けているのでしょう。そしてサブタイトルの「I'm a loser」とは、いじめられっ子というより、社会的な「負け組」なりの正義の貫き方を意味しているのではないでしょうか。
「セイケン」の正義がアメリカ的なものであるのに対し、亮太が抱いた違和感とは「負け組」が「勝ち組」の論理で簡単に片付けられてしまうことへの反発だったのかもしれない。


あたしも、ともすると正義のためには強行的な行動をとっても構わないと考えがちな方なので、この亮太の考え方って相容れないところがあって、そういう意味では「セイケン」側の考えの人間です。


でもね。考えてみて。


日本でバブルが崩壊してから。金融市場は壊滅的な打撃を受け、アメリカ式の自由化経済をどんどん推し進めていった結果、貧富の差が拡大し、ワーキングプアネットカフェ難民なんていう言葉が流行するような、いわゆる「格差社会」っていう世の中になってる。
その一方で共産主義経済だったはずの中国にも経済力で追い抜かれ、特定アジアの人間が大量に流入し、どんどん潜在治安が悪化していってる。
日本は今、好景気だって言ってるけど、富はより一部の人間に集中するだけで、ほとんど多くの日本人はますます貧しくなり、一度生じた格差を押し返したりすることはとても困難な状況。そうして国全体の活力は低下の一途を辿ってると言わざるを得ない状況です。


果たして強者の論理が「いつも」正しいのか、甚だ疑問です。


この本が訴えたかったのはこういうことなのかもしれません。もちろんそんな簡単なことではないのだけどね。
最後に出てくる「部長」はちょっと余計だった気もしますが、全体的にはとてもすばらしい作品だと思いました。というわけで、評価は★★★★★の満点です。


本多孝好さんの本っていうと、今まで読んだのはちょっとオカルトチックで苦手な気がしてたんだけど、この本はとても楽しく読めて、1日半でイッキ読みしてしまいました。