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イジメという言葉はやめない?

北海道・滝川の教室自殺:遺族「いじめ明らか」 滝川市教委「原因特定できぬ」

 北海道滝川市の小学校の教室で昨年9月、6年生の女児(当時12歳)が遺書を残し首をつり、今年1月死亡していたことが分かった。遺書には同級生からいじめを受けていたとみられる表現があり、遺族は「自殺はいじめによることが明らか」と訴えている。一方、同市教育委員会は「原因は特定できない」と反論している。

 女児は昨年9月9日朝、同市立江部乙小の教室で、天井に設置されたスライド映写用スクリーンのはりにひもをかけ、首をつった。計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかった。女児は意識不明のまま今年1月6日、同市内の入院先病院で亡くなった。遺書は学校とクラス、母親(37)と同居の親族(58)、友人3人にそれぞれあてられていた。

 クラスあての手紙では「みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。」と記述。学校にあてた手紙では、3年生で周囲に避けられるようになり、6年生で自殺を考えたと告白した。家族への手紙では、自殺を決めたことへの謝罪がつづられていた。

 学校側が調査したところ、女児は首をつる直前に行われた修学旅行(8月31日〜9月1日)のグループ分けで、級友から仲間外れにされた。また、遺族によると、首をつる4日前、自殺をほのめかす手紙を友人の1人に渡した。「秘密にしてね」と書かれており、友人は担任ら学校側に相談しなかった。さらに、遺族にいじめの存在を証言する同級生もいたという。

 母親は「学校側は事実をうやむやにしている。いじめを認めてほしい」と訴える。市教委の千葉潤指導室長は「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。遺書の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中だ」と話している。

(10/2の毎日新聞から抜粋引用)


あたしたちの頃も今で言う「いじめ」なんてどこかでかならずあった。やったこともあるしやられたこともある。小学生の頃はするほうで、中学生のころはされるほうでした。
この事件の記事を読む限り、別に死ぬほどのことでもないように思うけど、それは受ける側のとり方の問題なので、ここでは問題にするつもりはありません。
評論家が言うみたいな「昔はもっと堂々としてた」「さっぱりしてた」なんてことちっともなくって、今と同じようにネチネチしてたり集団でよってたかってひどいことをいっぱいしてきた。きっと自殺する子もいたのかもしれないけど、社会問題になんてなったことがない。それに「いじめ」なんていう言葉を使ったことがないです。


こういう事件を読むたびに、思うことがあります。それは何かというと、「いじめ」という言葉の響きとかイメージがすっごくイヤだっていうことです。
「いじめ」ってなんかすごく「みじめ」な気になりませんか? シャレじゃなくって。 受けてる側をひどく落ち込ませてみすぼらしく感じさせてしまうような響きがあるように思うのです。いじめられてる側ってすごく無抵抗で弱々しくって暗くて・・・ってイメージ持っちゃうじゃない? それに「いじめ」なんていう言葉を使うから、ますます陰湿になっていっちゃうんじゃない? もちろん明るいいじめなんてあるわけないのだけど。

だからあたしは「いじめ」っていう言葉は使わないようしています。


みんなでよってたかって小突いたりすれば、それはリンチとか集団暴行に他ならないし、言葉でののしれば侮辱や名誉毀損。みんなで無視すればそれは「嫌がらせ」なんだし、なんでもかんでも「いじめ」っていう言葉で括るんじゃなくって、行なわれている行為を正確な言葉で定義しなくっちゃ、被害を受けている側だって救われないような気がします。


「いじめっていう言葉使うなキャンペーン」とかやったら、賛同してくれる人多いかな。